東北関東大震災@1日目

1日目の時点では、確か「東北関東大震災」という名前では無かったと思いますが、このまま書こうと思います。

わたしは福島県郡山市という福島県のだいたい真ん中に位置する、東北第二位の経済都市である街に住んでいます。職場は敷地内にいくつかある工場の中の1つで、その工場内の一角にある事務所です。
地震が起こった3月11日の14:46は、ちょうど仕事場のトイレの個室に入ったところでした。地響きが起こるような経験した事の無い揺れだったので、これは外に出ないとヤバいと思い、個室のドアを閉めたばかりでしたがすぐに外に出ました。(職場のトイレは、外からも中からも入れるような作りになっているので)

外に出たら、医務室の看護士さんも慌てて外に出たようでした。その間も揺れが収まらず、バランスを取って立っていられるギリギリで、膝を付きそうになるのをなんとか堪えました。その間に、工場内からどんどん人が出て来ました。その間も揺れは止まず、電線が大きく揺れていました。工場から出て来た人が「電線が危ないから離れて!」と叫んだので、とりあえず屋根や電線が無いところまで移動。その間もまだ揺れている。
揺れがやっと落ち着いた辺りで、敷地内のグラウンドに移動するように指示が有り、慌てて移動しました。各建物や工場から、どんどん人が集まって来ました。中にはバッグを持って来ている人もいましたが、工場の工員の中には静電気を起こさない特殊な作業服の人もいて、すごく寒そうでした。グラウンド隣にある体育館は、ガラスがバリバリに割れ落ち、時計も地震が起こった時刻で止まっていました。

点呼を取った後、安全が確認されるまでは建物と工場の中に入る事が出来ないということで、そのまま外で待たされることになりました。この日はとても寒くて、時々吹雪く中、制服姿で震えながらひたすら指示を待っていました。その間、携帯で家にいる母と連絡を取ろうとしましたが、電話もメールも全然通じず。災害時ナビがある事を思い出し、アクセスをしようとしましたがこちらも繋がりません。Twittermixiを見ようとしましたが、EZwebPCサイトビューアーも繋がりませんでした。

15時過ぎくらいに一旦メールが通じるようになり、地元と東京の2人の友達から安否確認のメールが届きました。大丈夫だよ、と2人目に返信をしている途中で充電が切れてしまい、その後は、事務所の人が携帯でワンセグを見ているところから少しの情報を得ました。そこで、福島県中通り震度6弱の揺れだったこと、宮城では震度7の揺れだったことを知りました。東京タワーの先端が曲がったということも知りました。その間にも、グラウンドで待機している人達の携帯の緊急地震速報が鳴り、大きめの余震が続きました。
家にいる母が心配だったので早く帰りたかったのですが、なかなか余震が収まらず、建物の中に入る事が出来ませんでした。グラウンドから見た道路は、この時点ではバスも走っていたしいつも通りに見えましたが、ところどころのビルで、窓が開いたのか割れたのか落ちたのか、この寒いのに全開になってカーテンがはためいているのが見えました。時々、消防車や救急車が走って行って、黒煙が上がっている場所が有るのも見えました。地震から30分ぐらいした頃に、戦闘機が2機飛んで行くのも見えました。

吹雪の中震えて1時間半程待ち続け、やっと建物の中に入れるようになりましたが、事務所の中も工場内も荒れ放題なので、ヘルメットを被り女性優先で3人ずつ中に入って荷物を取って来る事になりました。幸い、わたしの机は入り口の近くに有ったので、バッグを取り出し、休憩室のロッカーに向かい、制服の上にそのままコートを羽織りました。ロッカーに、お昼ご飯の時に飲むための卵スープを置いているのですが、今晩は料理をするのが難しそうだと思い、咄嗟に持って帰る事にしました。
帰りに、上司に家庭用電話と携帯電話の連絡先を連絡しましたが、余りの寒さでガタガタ震えていて、メモを取るのが大変そうでした。職場を出る時に、職場入り口付近にある時計を確認したら、16:45ぐらいでした。地震から2時間程経った事をそこで知りました。職場へは20分程かけて自転車で通っているため、自転車に乗って帰りました。自転車は誰かが倒れていたのを起こしてくれたみたいでした。

今日はきっと晩ご飯を作るのが大変だろうから簡単に食べられるようなものと、母に連絡を取るために携帯充電器が欲しいなと思い、途中で職場から一番近いコンビニに寄りました。コンビニに公衆電話が有ったので、家に電話をしましたが、誰も出ず。とりあえず電話を諦めてコンビニに入りましたが、ワインの瓶が割れてしまったらしく、床に赤紫色の液体がこぼれていて、それを避けながらの買い物。携帯充電器をかごに入れてペットボルコーナーへ。床にもたくさんペットボトルのドリンク類が落ちていました。生茶と、レモンウォーターを1本ずつ。おにぎり類は全く無かったので、まだ残っていたパン類から、チョコパン、いちごのパン2つ。パンもごっそり有りませんでした。わたしが並んでいる間にパンも無くなってしまいました。お弁当類のコーナー側にみんなおとなしく並んでいる間にも、どんどん人がやって来て、お弁当やパンのコーナーを覗いて来ます。デザート類はまだ余っていたので、更にエクレアとシュークリームを購入。中華まん類はまだ残っていたので、買おうか迷いましたが、今買っても夜には冷めてしまうだろうしと止めておきました。この時はまだ、家で過ごせると思っていました。

コンビニで会計を終え、もう1回公衆電話で電話をしようとしたら前に3人ぐらい並んでいました。公衆電話からは電話が繋がるようで、家族と連絡を取れている人もいました。わたしも家に電話しましたが、コールはされるものの、電話には出ない…。仕方ないので、とりあえず帰るしか無いと思い、携帯に買ったばかりの充電器を差し込み、自転車で走りました。帰る間も時々吹雪いて、前が見えなくなりながらなんとか自転車で走りました。国道4号線では、ところどころ動いていない信号機が有り、警察官が交通整理をしていました。帰る途中で、道路にヒビが入ったり、隆起しているところがありました。小さく「うわっ」と声を上げつつ、いつもより時間をかけてなんとか帰宅。

隣の家の石垣はほとんど倒れ落ちて、瓦も大量に落ちて来ていました。家に帰ると、玄関前に母がいました。電話が通じなかったのは、余震の有る間は家の中にいられず、近くのアパートの駐車場辺りにいたかららしいです。そろそろ、避難所へ移動しようとしていたらしいので、ギリギリ間に合いました。家の中は、とにかく色々な物が倒れ、落ちていました。テレビ、パソコン、プリンタ、食器棚、食器類、ふすまも全部外れて落ちていました。2階の自分の部屋も確認しましたが、本当に全てのものが倒れていました。心配だったわたしの部屋の古い2段ベッドと、1階の冷蔵庫は以外にも少し動いただけでした。

電気・ガス・水道が通っていないし、とにかく割れ物が落ちているし家の中がめちゃくちゃで危ないので、今日は家では寝られないということになり、軽く荷物をミニバンに積み込み、母、叔母と避難所を確認しに行きました。地元の公民館は電気が通っており、暖房の入った和室にそこそこ人が集まっていたもののまだ余裕がありました。今日はここで過ごそうと決め、下に敷く物や毛布類が無いようだったので、それを取りに一旦家に。準備をしつつ、父が帰って来ないので心配していたら、19:00前ぐらいに父がやっと帰宅。父は自転車で30分くらいかけて通勤しているので、何かあったのでは…と心配でした。これで、家族全員の無事が確認出来ました。

父も一緒に避難所へ行くのだと思っていたのですが、父は、今鍵を閉められない状態の家が心配だからと、家の前に車を停めそこで一晩過ごす事になりました。(完全に玄関のドアを閉めてしまうと、余震でドアが歪んで開かなくなってしまう為、少し開けておかないといけないので)父に食料をいくつかと、ろうそくやライターを渡し、母、叔母、わたしで公民館へ。この時がだいたい20:00前ぐらいでした。
開いていた奥の方の場所に、3人が寝られるスペースを作って、コンビニで買ったパンやお茶でとりあえずお腹を満たしているところに、近所の人がお米を提供して作ったというおにぎりが1つずつ配られました。500mlの水も。おにぎりが美味しくて、泣きそうになりました。

避難所は水道は止まっていたけど電気が通っていて、コンセントのある場所も近かったため、携帯の充電もできました。電池を温存するため、簡易携帯用充電器から持って来た普通の充電器に変更。県外にいる弟・妹に電話をしようとしたり、メールチェックをしたり、EZwebを見ようとしたりしましたが、全く通じず。災害時ナビにも全く繋がらず、とにかくこの時点でauは全く通じませんでした。Docomosoftbankと思われる携帯の人は、携帯をいじったり電話している人もいたので、この時は通じていたのかも。避難所にはテレビが1台用意されていましたが、入り口近くにあるため、わたし達がいる場所からはほとんど見えませんでした。携帯のワンセグは見られたので、主にNHKの番組から情報を収集。わたしの持っているiPod nano第6世代はラジオが聞けることを思い出したので、とりあえずチューニングだけしておきました。

その間にも人は増えて、30畳の和室に60〜70人の人がいる状態になりました。災害時用の毛布が配られ、持って来た毛布や座布団類と組み合わせて寝る準備をし、24:00過ぎくらいに横になりましたが、余震に備えて全部の電気が点いていて、テレビも点いたまま。なかなか寝られず、毛布を頭まで被ったりしましたが、なかなか寝付けず。そうだ、iPodで音楽を聴こうと思い、なんとかそれで寝落ちしました。こんな時だからこそ、「Lullaby*1」が心に沁みました。緊急地震速報の鳴る大きめの余震で何度か飛び起きながらの3時間程の睡眠。ちなみに、コートも着たまま眠っていました。

*1:Lullaby (DVD付) (ジャケットA)三浦大知/声も歌詞もメロディもとても落ち着くので、良かったらぜひ。